高校野球の投球制限2014年08月27日 21:01

わたし的ナンバーワン女子アナの大江麻理子アナが夏休みなので、昨夜は膳場貴子キャスターの「ニュース23」を見て寝た。
高校野球が終わったおりでもあり、ゲストに桑田真澄さんを迎えての、高校生投手(少年野球を含め)の投球制限についてだった。
決勝まで6試合一人で投げると、日ハムの斎藤佑樹投手みたいに引き分け再試合があると900球を超え、松坂であれ田中であれ、700球以上を投げ抜く。
そしてプロへ行き、さらにアメリカで少し重めのボールで変化球を多投すると肘を壊す結果となっている。

興味深かったというか「これはあかんわ」と思ったのは、この問題に対する、帝京高校、横浜高校の監督の言葉だった。
彼らは投球制限(たとえば1試合100球)には反対の立場で、限界を超えてでも投げ抜くという精神力(武士道精神と言ってたのもいた)が、日本人にマッチした野球の姿であり、それが感動を生むといって憚らなかった。根性指導によってその後の生き方に得るものが大きかったと感謝する生徒が多いと豪語していた。
しかし、こうもいう「もし100球制限となったら、イヤな投手にはさっさと100球投げてもらおうとする球数作戦が横行し、1球1球勝負するという真剣な対戦の醍醐味がなくなる」
はて、「武士道精神」だの「チームのため自分の限界を超えて貢献する」と言ってた、どの口がそう言うのか。「投球制限」が導入されたら、そういう下らない作戦を生徒選手に命じる気満々ではないか。

なるほど、「高校生らしい」「プロ野球にはない根性ドラマ」という演出で、甲子園での」高校野球という「興業」が成り立ってしまっているから、その幻想から抜け出せなくなっているのだと思う。
「甲子園」というブランドにより、等身大の高校生が持っている価値以上のプレミア(流通価値)がついてしまい、プロ級のスター選手を頂点とする「スターシステム」ができあがっている。
たぶん秋の神宮野球大会とかインターハイ、国体での観客動員数や話題性が「本来の価値」だ。
監督も、単なる「全国大会」優勝校監督より、「甲子園」優勝監督と呼ばれるほうにはるかに自己満足を感じ、世間にもてはやされる喜びを感じているのだろう。
しかしこういう幻想(甲子園バブルと私は言う)をはぎ取って、野球というスポーツを生涯にわたって続けられるような生徒選手の身体的配慮への価値を前面に押し出せば、「投球制限」は、それに伴うチーム編成、とりわけ指導の在り方を根本的に考え直すいい機会だと思うのだ。
斎藤佑樹、松坂、田中の故障がでたとき、むしろ高校野球指導者が自主的に「投球制限」を持ち出し実現に向かうべきだったろう。

高校野球の投球制限に渋い顔をする監督は、過去の「成功体験」から脱することができないだけである。
これだから体罰や、体罰に近い熱血根性指導(野球のスキル向上や楽しさとは関係が無い)が、いつまでたっても改まらない。
卒業後の選手には「精神的な何か」は残っても、「好きな野球を思う存分やる、長い間プロ野球で活躍する」という未来は奪ったことに思いをいたし、猛省して欲しい。

コメント

コメントをどうぞ

※メールアドレスとURLの入力は必須ではありません。 入力されたメールアドレスは記事に反映されず、ブログの管理者のみが参照できます。

※投稿には管理者が設定した質問に答える必要があります。

名前:
メールアドレス:
URL:
次の質問に答えてください:
ブログ作者は政治的傾向はなんですか。

コメント:

トラックバック