失敗の本質という本2021年07月07日 20:08

「失敗の本質」は、多少なりとも官僚的組織をまとっているところには必読だろう。
失敗例とされている6つの作戦具体例は、第2章の特徴抽出と分析のプロローグで、帝国日本軍好きは「他に選択肢はなかった」「後出しじゃんけんではなんとでも言える」などと口を尖らせるだろうし、蛇蝎のように嫌う人々には「それ見たことか」「無謀」とせせら笑われておしまいな気がする。過剰な先入観や個人的価値感情があると、ちゃんと読めずにもったいない。
したがって第2章から読み始めて、ときどき第1章の具体的な記述に戻るって確かめるのがいい。
帝国陸海軍の、一定の方向に対して優秀すぎる官僚組織は、現在の企業にも残存しているだろうし、国と言わず地方でも役所には脈々と受け継がれている。
市場(経済を主な指標とする人間社会)からの情報の収集分析によって、自らの組織や製品(形あるもの以外情報=ソフトも含む)をアップデートできているか、そもそも市場をきちんと認識して相対的・客観的に現在の組織や方法論を比較検討しているか、このように問えば怪しいところがいっぱいありそうである。
失敗は成功の母というが、人間は同種の失敗を繰り返して懲りない面々でもある。失敗(苦しみ)を忌避・忘却して成功体験(快楽)にしがみつくのは、お釈迦様が説かれた2500年前まで遡る「人間の本質」であるとも言える。
なお、「失敗のメカニズム;芳賀繁:角川ソフィア文庫」も面白いので合わせて読むことをおすすめする。

コメント

_ 亭主 ― 2021年07月07日 20:17

「認めくないものだな若さゆえの過ちというものを」とつぶやいた赤い彗星シャァの言葉はけっこう「本質」をついているということ。
失敗をちゃんと失敗と認識できることは反省・学習によって失敗を成功へ転換する第一歩である。
しかし、第2章に書かれている「目標の曖昧さ」があると、そもそも失敗かどうかの判定基準がなくなる。判定ができないので、当事者(責任者)の言い訳を聞くことになるし、時間が立てばいつのまにか失敗を美化する論理さえ組み上がるというわけ。

_ 亭主 ― 2021年11月07日 21:10

「失敗と認めない」人々もいる。日本軍はよくやった、玉砕は全滅ではなく死に場所が与えられたということだ、などなど。
石油があったらアメリカに勝っていた、本土決戦したらアメリカも痛い目を見たという「タラレバ」もある。
たとえば満州の大慶油田を日本が発掘していたらどうだろう。
多分戦争なんかセずに原油を輸出して外貨を稼いだと見る。満鉄は巨利をすてて戦争を満州の外に広げることには反対すると見るほうが理にかなっている。
その想像を無視して戦争へ突き進んだとすれば史実より早くソ連軍の侵攻を迎えたのではないだろうか。
南方たとえばブルネイの石油を開発してもタンカーに十分な護衛をつける発想はなかったろうから、アメリカの潜水艦の餌食になったと思われる。あとには激しく汚染された南シナ海、東シナ海と黒潮に乗った原油汚染で日本の漁業も大打撃を受けるという光景が浮かぶ。
本土決戦発想はもっと悲惨だ。
千島・樺太で始まっていたソ連軍侵攻が北海道へ伸びるという最悪の結末が予想できるからだ。
それを見越してアメリカ軍は3発目の原爆を札幌に投下したかもしれない。
そこで降伏となったら、すでに北海道に達しているソ連は、北海道少なくとのその北半分ををドイツのように分割統治することを強硬に主張するだろう。赤い国境線が留萌釧路線に引かれた地図ができ、そして沖縄のようには返さない。
天皇家は、うまく行ってタイかイギリスあたりへの亡命、それが叶わなければ処刑廃絶だ。ソ連北海道に達することが容易に予想される「本土決戦」は悪夢としか言いようがない。
そして「失敗を認めない人々」は、これらの結果にも失敗・自らの責任を見ない。

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