ISと昔の一向一揆は似ている2015年02月17日 19:47

ISが樹立したと称する「国家」がどんなものか、何を目指しているのか、その脅威が分からないという人は、他ならぬ日本の過去にその「そっくりさん」がいるので参考になるかも知れない。

戦国時代名だたる武将はもちろん、その中のナンバーワンとなった織田信長も苦しめた「一向一揆」衆による国人支配である。
一向一揆は、地理的にはまったく離れたところで同じように発生し、大名などの武家の支配を拒否した。団結力はまことに強固であり、十分な通信手段もない中で、連携を保った。
信長に攻められたときには、石山本願寺に「顕如」という指導者がいたが、彼は戦闘や統治を指導したわけではなかった。
たぶん顕如を暗殺していたとしても一向一揆組織そのものをつぶすことはできなかっただろう。
一向宗といえども仏教だから、殺生禁止は一神教徒より強いタブーだし、殉教などという概念は全くなかったが、代わりに厭うべきこの世を信仰(南無阿弥陀仏)に生きて、名号を唱えながら死ねば極楽浄土へ生まれ変わると信じて命を惜しまなかった、ゆえに信長も手こずったのである。
かれらは加賀国や山城国という当時の一国を支配し、独裁によらず合議(集団)によって巧みに統治した。一向一揆衆が最終的に「天下」を狙っていたとは思えないが、一向宗門徒が多い地域では、その価値観にあった統治をあくまで求めただろう。


彼らの強みは、多くが生産資本手段を持つ「農民」であり指導者には豪農(庄屋)もいた。武家の側から見ると自分たちの経済基盤を根こそぎにされると言う思いだったろう。IS勢力がこのまま石油施設を掌握してしまうと同じことになる。
一向一揆衆が国を支配すると武士唯一の収入減である「年貢」はままならない。
支配をそのままにして政治権力を大名にまかせることはあっても、経済の首根っこをきゅっと押さえて、大名を「傀儡」とするのが彼らにとっては一番の統治形態ではなかったかと想像する。

どのように収まったかと言えば、ISが存在基盤をおくイスラム世界にはなく、幸い当時の日本にあった「天皇という権威」を信長が利用し、筆舌に尽きない残虐な戦闘で疲弊させた末に彼らを騙したゆえであった。
残念ながら、一向一揆衆と違って、ISには「権威」がおらず(バクダディ師からして傀儡っぽい)、石山本願寺や伊勢長嶋のような包囲線をしくこともできず、ISの残虐行為を非難する以上、彼らの「皆殺し」は難しいという点にある。
一箇所に集めて叩く戦法より、分散させて各個殲滅していく方がよいかも知れない。

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