マンガ「聖☆おにいさん」に見る日本のイスラムの位置2015年01月11日 22:22

日本の表現界におけるイスラム教はいかほどのものかを考えるのに格好の題材が、中村光「聖☆おにいさん」というマンガである。
天界の住人であるイエスキリストと、ブッダ釈迦牟尼が20世紀末の忙しさをなんとか乗り切って地上で休暇を過ごす、休暇先はなんと東京都立川市の二階建てのぼろアパートの六畳一間をシェア。
設定からしてシュールだが、なかなか聖書と仏典を相当読み込んでパロディに仕立てている。
このマンガを楽しみたいがゆえに私は聖書を買ったほどだ。
ブッダが町のいたずらっ子に眉間の白毫を指で突かれて痛がったり、イエスはクリスマスが自分の誕生日だということをちっともわかっていなくて他人事のお祭り気分でいたり、マリア様が子離れできないダメママだったり、天使たちも仏弟子も使徒達も相当ぶっ飛んでいるが、セリフに引用される出来事は聖書や仏典に忠実なのでそのギャップが実に面白い。
ところが、不思議なことにこの「天界の住人」はわんさと出る、イエスの父つまり「創造主」も登場するこのマンガでは、イスラム教の「イ」の字も、ムハンマドの「ム」の字も、まったく気配すら出てこない。イエスの父である「創造主(=ユダヤ教・キリスト教・イスラム教共通の唯一神)」も、これらにはまったく言及がない。


「さすが!細やかな気遣いのできる日本人」とすべきだろうか?
日本にはイスラム教の位置づけが薄すぎてお話(ネタ)にならないのか?
下手に描くと怖いから描かない、日本人得意の「自粛」なのか?

先日のフランステロで標的になった風刺新聞社の掲載マンガとのあまりの違いに、かえって日本におけるイスラム教や、それ以前に一神教の「神」との真正面からの対峙がないことをうかがわせはしないだろうか。
確かに日本は「八百万の神」なので、とても一人に絞ることができないと言えばそれまでだが、一方には、浄土宗や浄土真宗のように、熱烈な念仏(阿弥陀仏の名号を唱える)という一神教とぱっと見よく似た、アジアのいわゆる南伝仏教からすれば驚天動地の信仰形式が存在する(戦国時代日本に来た宣教師達が「すでにキリスト教徒が広まっている」と勘違いしたほど)。洗礼を受けたキリスト教徒もカトリック、プロテスタントを通じて多い。
「聖☆おにいさん」にイスラム関係の記述がないのは、世界「標準」からいえば異常であるとも言えるのだ。
このマンガ自体は、以上のような面倒なことは一切考えずに読んで面白い、仏典と聖書の知識がある人には抱腹絶倒ものなのでお勧めなのだが、それだけではない、何か「ひやり」と冷たいものを感じさせてしまう昨今の世界は、たぶん解脱や涅槃には遠く、慈悲深くあまねくおわす神による幸福からも遠いのだろう。