今こそ立ち止まって考えよう2015年11月15日 14:00

ロシアの航空機墜落がテロらしいとされ、国際会議準備中の厳戒態勢下にあったにもかかわらず、フランスで今回のようなテロ事件が起きるにいたって、テロが情報戦と警戒態勢でなんとか封じ込められると考えるのは破綻していると思うべきだろう。
ここはテロと戦うのではなく、人間をテロへ狩り立てる原因に働きかけて、テロリストの供給を断つことにより根本から根絶する方法を先進各国の中で、立ち止まって考える最後のチャンスかも知れない。
テロ対策の警備力や情報監視によってなされる自由・権利の喪失は意外に大きい。それより、テロリスト化する人間を増やさない、つまり供給を止めるために制限される、経済・軍事・政治的自由の制限の方が人間一人あたりに換算すれば、自由・権利の喪失ははるかに小さい。

前者の制限は個人の生活隅々に均等に少しずつ及び、総和は膨大な物になるだろう。
後者は、政治・軍事権力者と富の所有者に、見た目大きな制約を課すが、総和はたぶん前者に及ばない。それどころか、依って立つ価値観を変更するだけで、制限を制限でなくすことも可能だろう。彼らに課される制限は、利権(権益や国益とも言い替えられるが中身は同じもの)の囲い込みの禁止、それだけ。

富の再分配は、トマ・ピケティの大著「21世紀の資本」では、世界同時資産課税という強権的な方法で提案されているが、21世紀資本主義経済が行き着いた富の偏在を解消しさえすれば、結果は同じである。
しかしピケティの「資産課税・富裕税」は、利権囲い込みの構造を変化させない可能性が高い点が気になる。

テロ事件は、悲惨、凄惨で、暴力の連鎖を生むが、なぜテロを起こす人間を生むかということをテロがまったく解決しないどころか、という根本的欠点を持っている。テロリストが、その根本問題である富の偏在を生む利権の囲い込みには展望を持たない。
世界人口の半分を超える貧困層に、先進国と企業がグルになって囲い込んでいる利権を解放して、富の配分構造を変えることができれば、命の無駄遣いであるテロをするより、安定した収入が補償される労働を望むだろう。

後は少し残酷かも知れないが、内戦状態にある国地域から、国連安保理常任理事国が「国益」「権益」と名を変えた利権を我慢して、関与しないことにする。
当事国民にとっては酷いだろうが、武器の補給が先細りになる状況で気のすむまで戦って、自らの意思と行為で国作りをしてもらうしかない。できた国がどのような政体であれ、国際社会は拒否をしない。

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