事故死はバスメーカーと国交省の責任だ2016年01月16日 21:03

15日未明の軽井沢のバス事故は悲惨だった。
さっそくバス会社に警察の捜査が入った。
だがちょっと待て、一般道走行スピードでの単独事故であそこまで車体が損傷し、乗っている人間の生存空間が確保されないと言うことは看過できないだろう。

まったくバスときたら、車体剛性が軽自動車と同等ないしは低いというのは許されるのか。
軽自動車は自損事故でも最大4人しか死なないが、バスでは、今回でも14人が亡くなっている。公共大量輸送機械として、ある意味飛行機と同じなのだ。
飛行機は、墜落したら生存率は限りなくゼロだが、それでもなお、生存率を上げるための最善を尽くす。
その安全設計思想は、「人間はエラーを犯す」ということである。これを前提に、まずエラー自体を起きにくくする、そのうえでエラー(誤操作)が起きても乗員の命は機械が守る、これがマンマシンシステム設計の最低基準だと思う。

バスの正面・後方・側方衝突、横転時の安全基準は、乗用車よりゆるすぎるのだ。
安全基準がもうすこし厳しければ、たとえば車体中央部に梁枠を義務化するとかすれば、今回程度の事故で死なずにすんだひとが多かったのではなかろうか。

バスの死亡事故が起きるたびにバス会社と旅行会社は責められるが、バスのメーカーや安全基準を司る国が責められることがないのは納得がいかない。
マスコミも、ネットも、なぜ衝突実験実証をバスメーカーに課し、国交省のバスの安全基準を正さないのか。

メーカーと国こそが真犯人として追求しよう。
ご遺族も是非メーカーと国を訴えて欲しい。

コメント

_ み枡屋亭主 ― 2016年01月23日 14:39

パロマのガス湯沸かし器にせよ、TDKの加湿器にせよ、想定外の誤った使い方をし人が数人死んだところで、製造者の責任を問われたことを、いつも自動車の危険と比較して考えてしまう。
飲酒運転、無免許運転、アクセルとブレーキの踏み間違え、トラックの追突、バスの車体の脆弱性、いずれも世界で何百万人の死傷者を出している深刻な安全問題であろう。
生け贄または魔女裁判みたいに「タカタ製エアバッグ」とか「フォルクスワーゲンの排ガス不正」を叩いて、消費者を上手に誤魔化しているに過ぎない。

日本1年間だけで、4000人の死亡事故、70万人のけが人を出す機械は自動車以外にはありません。
鉄道、航空機事故に比べてダントツに多いのもバス事故。
列車にはATCや脱線防止補助レールなどの工夫はあっても、バスにはその手の安全策は一切ないという異常ぶりです。
これは国家ぐるみで自動車産業を「放し飼い上等」と甘やかしているからに他なりません。
陰謀論者が「これこそアメリカ・ヨーロッパのユダヤ金融資本の陰謀」と騒がないのが不思議です。

運転手にも、バス会社にもまったく過失がなくても、横転事故は起きるだろう。
その時、乗客乗員が生きるか死ぬかを分けるのは、バスの車体そのものしかないことを忘れないでいただきたい。今のようなペラペラベコベコでは、やはり怪我では済まず死者は出る。
車検を通すために、不格好な補強材を追加するか、新基準に合致した新車にするかを選ぶことによって、安全意識の低いバス会社は淘汰される。

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