責任者出てこい!が好き2014年10月03日 19:42


50才以上の大阪人なら「ぼやき漫才」といえば思い出すだろう「責任者出てこい!」
現代日本人はこの言葉がいまだに大好きである。
巨大地震と津波で2万人が死んだ、これほど大きな地殻変動なら予兆がわかったはずだし津波の規模もちゃんと伝えなかった、避難場所が津波には不向きだったので、
「責任者出てこい!」
山ぎわの扇状地に造成された住宅地が、局地的記録破りな大雨よる土砂災害で大勢死んだ、なぜ避難勧告を出さなかったんだ、
「責任者出てこい!」
有史以来の噴火記録がなく、やっと40年前に噴火し細々と経過観察をしていた御嶽山が水蒸気爆発(3000メートルを超える火山では小規模な)し登山者の大勢が死んだ、爆発前に火山税微動が増減を繰り返したのになぜ警報レベルを引き上げなかったんだ、
「責任者出てこい!」
みんな、他人の責任は、決して自分にお鉢が回ってこないことがわかっているから、「責任者出てこい!」と安心して叫べる。しかも周りの人々も同じ立場なのでてんでに好きなように「責任者出てこい!」と言い合って憚らない。


しかし叫んでいるのは皆素人評論家で、当事者でも責任者でもないので、まあ、野球でいえば外野席に陣取った観客のヤジというところだろう。
そこを自覚していればいいのだが、ネットの世界に発信できるようになってからは、「責任者出てこい!」は「贔屓チームの勝ち鬨」「正義の雄叫び」と同じように脳内にドーパミン・エンドルフィンの大量放出を伴い、一種の酩酊状態を作るようだ。
「責任者出てこい!」は、はじめに示したように30年以上前の「ぼやき漫才」のギャグネタであった。すなわちみんなで大笑いしておしまい、また次の新たなネタで「責任者出てこい!~大笑い」と繰り返すだけである。
笑った客は誰一人、本当は自分が笑われているのだと思わない。そして自らは何も手を打たない、考えない。
「責任者出てこい!」は、自ら言ったり、他人のを聞いたり、みんなで賛同したりするとすっきりした「カタルシス」を味わえるが、自分自身の安全が担保されるわけでもなく、何かを学習するわけでもない。

自分なら何ができるかをトイレに座って考える方が、はるかに有益で、よい。
よしやそこで感極まって「責任者出てこい!」と叫んでも周囲には聞こえないから大丈夫である。叫びとともにたまっていた便が出たなら幸いでもある。
そうだ、本当に出てきた「責任者」もたいてい「クソ」であるので、出てきた責任者=大便と断言してもいいかも知れない。

災害時はまず自分の安全を図り、余裕があれば他人を助ける、その時の備えを、物的にも心の中にも築かなければ、自分の遺影の前で見知らぬ人が「責任者出てこい!」と言うのを、にがにがしくあの世から眺めることになるだけである。

ノーベル平和賞への疑問2014年10月10日 21:01

ノーベル平和賞には本当にがっかりさせられっぱなしだ。
今年は17歳の少女とインドの反児童労働活動家だ。どちらも活動途上である。
マララさんの方は史上最年少と騒がれているが、彼女は何ら実績を残したわけではなく、これから先の長い人生の中で何をするかは全く不確定だ。
結婚をすれば、イスラム教徒の女性であるから、夫によって全く今とは違う人生を送り、現在の信念に反した行動をするかもしれない。
自然科学系の3賞はは、必ず確定した実績に対して与えられる。どんなに優れた理論を打ち立てたとしても、実験や観測によって実証されなければ決してノーベル賞は授与されない。
それに対して、経済賞、文学賞、平和賞は「実績がなくとも」「実証されなくとも」授与される。
オバマ大統領、中国の反政府人権活動家が何か実績を上げただろうか、つまり言ったこと=理論が実証されただろうか?
私は「いいえ」だと思う。
だからこそ実証なき理論が受賞するようなもので、絶対におかしい。
マララさんには悪いが、彼女は「声を上げた」「その声がネットで拡散された」「過激派に銃撃されたが生き延びた」これが実績、あとはそれを利用し彼女を担いだ取り巻きの巧みな演出とみるべきだろう。彼女は「理論」だ。
実績=実証なき理論への受賞は、選考委員会の「意図」を勘ぐられても仕方がない。